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丸刈りの女の子が謝罪させられている件について

 AKBメンバー峯岸みなみが恋愛禁止の禁をやぶって、「みずから」 丸坊主になり、その姿で謝罪する様子が YouTube で流されているという事態に、もぉーーーっのすごい「やっぱりね感」を感じている(この動画)。

 私が韓国に来てほっとしたことの一つに、日本にいるといやがおうでも目につくAKBの表象から逃れられたことがある。今回の件で、AKBの表象から立ちのぼるあの「いやな感じ」はたんなる思い過ごしではないことを確認した。

 右のえりあしにまだ長い毛が残っている「雑に刈られた感じ」や、涙ながらに謝罪する姿が、もう気持ち悪くてしょうがない。もちろん気持ち悪いのは、彼女本人ではない。彼女のバックにいる大人と、彼女がこういう形で表に出ることに疑問を持たないファンが透けて見えるから気持ち悪い。YouTube には「峯岸みなみからのメッセージをお届けします」と書かれているんだが、「お届けします」とかなにシレっと書いてんだよ、と思う。

 これは人権侵害ではないか? という意見に私も同意する。シェルターにかくまったほうがいいのでは。ホロコーストのガス室で殺される前の女が、髪を刈られたエピソードを思い出した。DV被害者がむしろ自分を責めるって話も思い出した。

 そして、丸刈りの女の子が謝罪させられることと、四肢のない女の子の絵が美術館にかざられること(→前エントリ)は、同じ社会問題のちがう表出形態のような気がしている。まだ正確に言語化できないけれど。女の子の商品化はずっと以前からあることだ。だが、ここ3年ぐらい、ものすごい速さで「度」を越しつつあるような気がしている。

 「気持ち悪い」とか、「いやな感じ」とかいった感情的な表現に、思考の怠慢を見る向きは見るがよい。不感症よりはマシである。2次元と3次元では話がちがうだろ、というご指摘も結構です。ちがう次元で表出するおなじ欲望について私は問題化したい。

 ◆今後でてくる “かもしれない” 陳腐な意見 (もう出ているかもしれないが)

 「たとえ強いられたルールや環境のなかであっても、立派に生きぬく彼女の主体性を評価すべき。システムによる強制と服従という型にはまった見方は傲慢であり、差別的」(アイドル評論家 30代 男性)

 「理不尽な環境を耐えて、サバイバルする。そして自分が悪いと思ったら素直に謝罪する。私たちと同じなんだなぁって思いました。今までAKBって男の人のものだと思ってたけど、親近感がわきました」(会社員 20代 女性)

 ◆ 2/1 追記

 -あくまで体感でしかないんだが、会田の絵の件とAKB丸刈りの件とでは、人びとの反応が天と地ほど違う。会田の絵のときは、「たかが絵じゃん」って感じだったのに、AKB丸刈りでは、「これは一線を越えている」と。

 この違いを考えてみるに、2次元と3次元の違いもあるけど、女の子の表情の違いも作用しているだろうな。会田の絵は笑ってる。あるいは、元気に吠えている。だが、峯岸は無残な坊主頭で泣いている。

 女の子に涙を浮かべさせてしまったものだから、それがレイプを連想させるとして、別の作品が展示されなくなってしまったって話を2008年のインタビューで会田がしていた。そこから思いついた話。ちなみに、インタビューは以下。アクセス数に貢献したくないので、魚拓URLです。発言と作品に気分悪くなる可能性あり。閲覧注意(→これ)。

 -あの映像に、「助けてください。私は囚われています」とアテレコしてもまったく違和感がない。だからなにって話なのだが、それで終わらせる気も起こらない。

 -あれがマーケティングの一つなら、謝罪の手法はどんどんエスカレートしていくだろう。昭和の香りたちのぼる丸刈り懲罰の次は、江戸の武士のケジメ切腹だろうか……って考えた矢先に、切腹する女子高生のモチーフの作品が会田にあることを思い出した。

 そして、金明秀による次の説明に一部をのぞいて納得した。

 「AKBというシステムのもっとも醜悪な側面を実体化して見せられた気分だ。暴力を強要する支配。泣きながらも自発的に服従する語り手。それを娯楽として消費することが想定されている背景。会田誠の犬シリーズというのは、3次元化するとこういうことなんだなと」、

 「犬シリーズは「正統|正当なもの」に対するアンチテーゼとして創られた《虚構》ですね。公的に承認された規範の虚構性を、そこに隠蔽された欲望を対象|対照化することによって描き出した作品だと言えます。《現実にはありえない》という了解があってはじめて観賞できる作品です」、

 「しかも、そこに描かれた「隠蔽された欲望」は、(1)手首を切り落とし鎖を持つ者の支配欲、(2)あまりにも理不尽な少女の自発的服従の欲求、という二重性を備えています。作品自体については、鑑賞の文脈が確保されているかぎりにおいて、ぼくは好意的に評価しています」、

 「しかし、今般の出来事は、犬シリーズに描かれた「隠蔽された欲望」(つまり、「鎖」と「自発的服従」)を現実のものとして実体化したようなところがあります。この点についても説明が必要でしょうか」、

 「《現実にはありえない》という了解の範囲内で誇張して描かれていたはずのものが、あまりにも生々しく眼前に現出したわけです。そのことへの驚きを、ぼくは「会田誠の犬シリーズというのは、3次元化するとこういうことなんだな」と表現しました」、

 「ただし、《現実にはありえない》という了解自体が、じつはアヤシイ設定なのです。「犬」という支配のモチーフが通用してしまうのは、現実に若年女性に対するセクシュアルな支配がありうることをわれわれは知っているからです。「《虚構》という虚構」とでもいいますか」、

 「あの謝罪ビデオを見て、犬シリーズの「《虚構》という虚構」が暴露された、とぼくは直感的に思いました。それが、あのツイートで犬シリーズを引き合いに出したもう一つの理由です。以上」 (金明秀 @han_org Twitter 2013年1月31日0:52~2:25。←すみません、金さんのお名前をまちがえたまま数日間掲示してました。2/4訂正)。

 -同氏の原発記事は納得できないが、この記事はまともなことをいっている。

 石井孝明  「女性の丸刈りを映す2つの異様な写真--AKB48峯岸みなみ、ロバート・キャパ」  http://agora-web.jp/archives/1516450.html

 -「人権侵害だとは思うが、今回のことについて騒ぐとAKB商法に乗せられるだけだから騒がない」というポリシーのもとだんまりを決めこんでいる人が、自分はAKB商法の伸張にいかなる貢献もしていないヤッタネ自分エライと認識しているとしたら、それは大いなる勘違いである。

 なぜなら、騒がないという選択は、「自分に体罰を課すほど追いこまれた女の子をさらしものにするていどの人権侵害ならOK」という社会通念の生成に行為遂行的に加担してしまっているから。よりいっそうの人権侵害をビジネスにおりこむべく、AKB商法が邁進する条件を用意するのと同じことだ(*)。

 これを避けるためには、「人権侵害だとは思うが(←ここ大事)、今回のことについて騒ぐとAKB商法に乗せられるだけだから騒がない」ぐらいのことは、他人にもわかるように物理的なかたちで表明するのがよいと思われる。

 ようするに、AKB商法の圏外に身を置くという選択肢はもはや私たちには許されていないのですよ。って、なんか安いアイドル評論家みたい。

 (*) 「よりいっそうの~同じことだ」という主張には、人びとの「このていどならOK」という感覚の上をゆく商品をエンタメ産業はつくりだしていく、という前提が暗にすべりこんでいる。人びとに驚きを与えることがエンタメ産業の特性の一つであるという事実のもとでは無理な前提ではなかろう。

 -女の子の手足をもぎたい欲望を表出すること、自己への体罰においこまれた女の子をさらし者にすること、それらを利用して商売することにたいして、「そんな行いは恥だ」、「下品だ」というこれ以上説明不可能な言辞でもって叱りつける大人がすくなくなりましたね。ってこれも安い保守主義者みたい。

◆ 2/2 追記

 みずからがリアリティショーの主人公になってしまったAKB応援隊の濱野メンバーや宇野メンバーにいいたいことは、坊主謝罪だけはやめておけということだ。

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