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北京の銭湯にひそむスパイについて――包茎のはなし

包茎の言説史についての本を書いている。それを知っている友人が、おもしろいブログ記事を教えてくれた。30人の白人男性の股間を観察したところ、包茎が多数派だった。包茎に悩むなんてばかばかしい、という内容のものである(1)。

包茎は清潔にしていればなんの問題もない、ということはかつて拙著でも書いており(2)、ブログの内容におおいに賛同する。手術をあおる言説があふれかえる日本で、それにたいする対抗言説はとてもすくない。もっとこの手の言説が増えればいいのに、と思う。

ところで、ブロガー氏は、30人の白人男性の股間を、東京のスポーツジムの更衣室で見たという。あえて見たわけではなく、見えてしまったと書いている。

この記事では、ブロガー氏とはちがい、あえて外国人の陰部を観察した人について、紹介したい。満州事変のあった1931年の、北京での話である。その人は銭湯にひそんで、観察をつづけた。そして、中国人男性に包茎が何パーセントいるのか、統計をとった。いま、ちょうどそのことについて原稿を書いているので、すこし紹介する。

その人の名を川村狂堂(かわむら きょうどう)という。職業はスパイである。包茎について密偵するために中国にひそんでいた……わけではなく、中国のイスラム教徒を組織する仕事をうけおっていたようだ。

「ようだ」と書くのは、この人についての情報がすくないからである。が、おそらく日本軍から資金をもらって派遣されたとみていい。川村じしん、当時でもめずらしいイスラム教徒だったので、そこを見こまれたのかもしれない。イスラム教徒の反乱を扇動した罪で、中国当局に逮捕された前科もある(3)。

イスラム教徒なだけに、川村は割礼に関心があった。「割礼概説」という文章を発表してもいる(4)。が、史的考察だけでは限界があることに気づく。生理学的研究が必要だと感じた川村は、せめて中国人の基礎的データだけでも得たい、と北京の銭湯にひそんだ。

1931年3月から10月のあいだ、のべ21箇所の銭湯で、77回もの調査をかさねた。観察した男性の股間は1770人ぶんにおよぶ。その結果、こんな統計を得た(5)。

支那人の陰茎の包皮統計

1 全開皮者    八四七   四七・八五三…

2 半開皮者    三二四   一八・三〇五…

3 不開皮者    五九九   三三・八四一…

  合  計  一、七七〇  一〇〇・〇〇〇…

 右の中二と三の半開皮者及不開皮者を合すれば

          九二三   五二・一四六…

統計は、川村の論文からそのままぬきだした。「支那人」という言葉は今日では差別語にあたる。が、時代相を反映させるため、あえて修正しなかった。

小数第三位まで出しているのも論文のまま。ここまでこまかい数字を出している意図はよくわからない。よくわからないが、それぞれのカテゴリーについて解説するとつぎのようになる。

「全開皮者」とは、現代の俗語でいうところのムケチンのことである。川村は、「包皮が翻転して亀頭冠を越え亀頭が全部露出せるもの」と定義している。包皮がクルリとひっくり返っていて、亀頭のミゾよりも上にあり、亀頭がすべて出ているもの。これがおよそ5割を占める。

「半開皮者」とは、亀頭の半分だけを皮がおおっているもの。半ムケとでもいうのだろうか。これがおよそ2割を占めていた。

「不開皮者」とは、亀頭の全部を皮がおおっているもの。包茎である。

このなかには、まったく皮がむけない者も、むこうとすればむける者もいるだろうと川村はいう。現代でいうところの完全包茎と、仮性包茎である。これがひとつのカテゴリーにまとめられている。外から見ただけなので、どちらがどういう割合なのか、そこまでは判断しかねるという。とにかく、両者あわせて約3割いることになっている。

以上、北京の銭湯調査について、現代語訳しつつ、数字を丸めると、

ムケチン 5割

半ムケ  2割

包茎   3割

という結果になった。

川村はこの結果に満足しているように見える。というのも、彼は、「東にいけばいくほど包茎がすくなくなる」という説をとなえていたからだ。

川村は、自身の調査からさかのぼることおよそ30年の1899年に発表された、べつの包茎の統計を引用している。形質人類学の権威である足立文太郎博士が、日本人の兵士を対象に調査したものである(じっさいの調査をしたのは長澤康人軍医)。その結果を、現代語訳しながら引用すれば、およそつぎのようになる(6)。

ムケチン    7割

半ムケ+包茎 3割

数字は丸めてある。スパイ川村と足立博士の結果をあわせれば、ムケチンの割合は、中国では5割、それよりも東に位置する日本では7割となる。さらに、「ヨーロッパ人は包茎がほとんどである」という情報も、川村はいいそえている。これらをあわせれば、「東にいけばいくほど包茎がすくなくなる」という川村の自説と合致する。

もっとも、足立博士は、自分で統計を公表しておきながら、ムケチン7割という日本人の数字は事実を反映していないだろう、といっている。というのも、折にふれてムケチンの者にたずねてみると、「もともとは包茎だった。が、日々、包皮を巻きあげて亀頭のミゾにひっかけておいたところ、亀頭が出るようになった」と証言するからである。長澤軍医をつうじて、調査対象の兵士たちにたずねたところ、10人中7、8人が同じようにこたえたという。

そして、博士は、「亀頭はほんらい露出しているものである」という考えかたを「誤認」とよんでいる。包皮というのは、亀頭を保護するためにある。したがって、上記のような誤認は、今後、なくなるのがよろしい、といっている。包茎こそがペニスのほんとうの姿だ、ということだ。

これにたいして、スパイ川村は、まっこうから反論をとなえる。「いやいや、亀頭が出ている状態こそが、がんらいの成熟したペニスのあり方でしょう」と。

このように書く川村は、「足立博士のいうムケチン7割という数字は、フェイクなんかじゃない。リアルのはずだ」と思っていそうである。というのも、7割という数字が、まじりっけのない、リアルなものであってくれたほうが、「東にいけばいくほど包茎がすくなくなる」という自説に合致するからである。もっとも、このへんは、筆者の憶測にすぎないが。

博士とスパイ、どちらの説がほんとうなのか――という問いへこたえることは、このブログ記事の目的をこえるので、ひかえたい。だいたい、対象者の年齢がことなる調査で比較するのも、どうかと思う。博士の論文にでてくる兵士は、おそらく若者が大半である。いっぽう、川村は、いろいろな年齢層を見たようだ。老齢になるにしたがってムケている者が多くなるのを、博士はどう説明するのか、とかみついているので。

この記事では、ただ、1931年の北京の銭湯で包茎調査にはげんだ日本人がいた、ということをいいたかった。

が、包茎こそがほんとうの姿であるという足立博士と、そうではないというスパイ川村の発想のちがいがどこからきているのか、という点は気になっている。日本と西洋の関係、あるいは日本と東洋の関係をどう見るのか、ということと関わっていると、いまのところ考えている。そのあたりは、本のほうで書きたいと思う。

(1) Chikara Miyake, 2015「白人男性30人以上の平常時のペニスを見て分かった日本人男性の奇妙な風習」(ブログ『Worse is Better』2015年12月31日記事。2016年1月12日アクセス。 http://chikara.posthaven.com/bizarre-conception-of-penis-prevailing-among-adult-male-in-japan

(2) 澁谷知美、2009『平成オトコ塾 悩める男子のための全6章』筑摩書房

(3) 川村の経歴については、次の文章に拠った。保阪修司、2007「アラビアの日本人 日本のムジャーヒディーン」『中東協力センターニュース』2007年12月・2008年1月合併号、43-51頁、http://www.jccme.or.jp/japanese/11/pdf/11-05/11-05-41.pdf

(4) 川村狂堂、1931「割礼概説」『満蒙』第12年第139冊、65-75頁、同140冊、113-23頁

(5) 川村狂堂、1932「支那人の陰茎の包皮に就て」『満蒙』第13年第142冊、44-54頁。2009年2月の国際日本文化研究センターの研究会で、この論文を教えてくれたのは唐権さんである。記して感謝する。

(6) 正確なカテゴリーの表記と数値を知りたい向きは、原典に当たられたい。足立文太郎、1899「本邦邦人陰茎の包皮に就て」『東京人類学会雑誌』161号、427-34頁。同論文は、同年発行の『中外医事新報』467号にも転載されている。未確認だが、足立文太郎、1928『日本人体質の研究』(岡書院)にも収録されているらしい。

複数の媒体に載っていて、わりあいに有名な論文だったのかもしれない。戦前期の、やたらと人体の計測がはやった時期、包茎の統計もいくつか発表されている。その論文たちの一部も、足立を参照している。現代でも、吉岡郁夫・武藤浩、1983『性の人類学 形質人類学の空白領域』(共立出版)の包茎の節や、石川英二、2005『切ってはいけません! 日本人が知らない包茎の真実』(新潮社)がこの論文を引用している。

が、不思議なのは、包茎に特化したこれらの論文をのぞき、足立の功績について解説する後世の人びとが、この包茎論文についてふれないことである。言及されるのは、もっぱら、博士が生涯をかけてとりくんだ動脈や静脈の研究、あるいは、死後に弟子たちの手で刊行された『体臭、耳垢および皮膚腺』(ドイツ語で書かれている)について。足立が手がけた、たくさんある小さなテーマのうちのひとつだからなのか、偉大な博士が包茎について研究していたなんて書けない……と、後世の者たちがヘンな気づかいをして手びかえたのか、正確なところは分からない。

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